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戦時中のジャカルタ風俗

戦後70年、という節目なので「アジアの尾根遺産」的にも特別企画を。

3年ほど前に読んだ書籍なのですが、戦時中のインドネシアの夜遊び状況がどんなものであったか、伺い知れる資料を今回紹介します。

後の直木賞作家、久生十蘭。彼が従軍記者として東南アジアに赴いた際の日記です。

赴任してから数ケ月間、ほぼ毎日「飲む・打つ・買う」、慰安所を巡っては、オンナに溺れる日々。彼がよりによって、「朝日新聞」の記者というのは何とも皮肉です。

著作権上、文をそのままコピーもできませんし、文体が独特すぎて読みにくいので、私なりの意訳で、部分的に紹介いたします。

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初めてのジャカルタ。朝日の車で街を見物して回ります。ハルモニイにビールを飲みに。ここは海軍将校倶楽部になっていました。

夜になって、オンナを見に行こう、と将校倶楽部へ。大通りを風を切ってベチャが快走し、爽快です。

ところが「一見さん」には愛想を振り撒かないようで、なかなか寄り付きません。しばらくして来たのは、ブスが3名。バカバカしくなり、店を出ました。

これなら現地娘のほうがよっぽどマシだ、と町の反対側までまたベチャで移動。

インドネシアのベチャ

到着した一角は、色つきの電燈を下げたテラスを持つ家々。テラスには椅子とテーブル。

昼間この一角に来たときは「軍人軍属立ち入り禁止」の看板があったのですが、気にせず突入です。

1軒づつ覗いていくと、4,5軒目でボディラインのいい娘を1名、発見。この娘と遊ぶことに。

部屋に入ったものの、ひとことも言葉が通じません。娘は何かしきりに話しかけてきますが、相手をするのも面倒に。

奥の汚い水浴び場で洗って、裸で寝ます。

中国ほど不潔ではないものの、決してキレイとは言えない寝台の上ですくみ上がってしまいました。

コンドーム代として1円とられます。尾根遺産の名はKawii、抜群のスタイルです。

肌は驚くほど黒いわけではないものの、ちょっと見慣れない煤色。ヌードになると非常にグラマラス。

リアクションがわざとらしく、しきりにキスを要求され、振り払うのに忙しいほど。

インドネシアのダンサー

「kenpei」が来た!と尾根遺産がソワソワしだしましたが、私は動じません。

寝たのは1時頃。翌朝は8時頃に目覚めて、おぞましい水浴びをして帰宅。

11時頃に起きて、朝日の総局へ挨拶に。昨夜の体験談を話すと、みなが「大胆ですねぇ」と驚きます。

聞いた話では、軍人軍属があそこで発見されると、有無を言わさず送還されてしまうそう。

あそこは「ロウソク梅毒」の100%危険地帯で、立ち入り禁止はそのためなのだとか。

これはヤバい!

すくみ上った私でしたが、いろいろ聞いてみると、コンドームをして、事後は洗って、キズがなければ多分、大丈夫だろう ということでひと安心。

  ~  ~  ~

いかがでした?

ジャカルタ初日からこれですから、十蘭という人物、なかなかのタマですよね。

70年前の様子ではありますが、オンナ遊びは今も昔も、共通する部分が多いように感じます。

(つづく)

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tag : インドネシア夜遊びジャカルタ尾根遺産アジア

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