DEEPなインドネシア
アジアの風俗大国といえば、ジャンルの多彩さでやっぱりタイになるでしょう。
しかし店舗?数でいえば、正確な統計はもちろんありませんが、インドネシアがNo.1ではないかと考えます。
バンコクには物凄い数の風俗店がありますし、パタヤ、プーケットも夜遊びには事欠きません。でもタイの田舎に行けば、ひとつの町に置屋が数軒あるくらいかと思います。
人口が世界4位のインドネシアも、田舎町では置屋が数軒、というのは同様でしょう。需要が無い場所に置屋が数十軒、なんて有り得ませんからね。
ではなぜタイ以上の数があると考えるのか?
それは、幹線道路沿いに隠れ営業している置屋が山ほどある からです。
広いインドネシアの町と町を結ぶ道路沿いには【Rumah Makan】=食堂 という看板を掲げた店が無数に存在しますが、RMなのに料理が全く並んでいない店があります。
それらは≪尾根遺産を召し上がれ≫という、隠れ営業の置屋なのです。車が敷地内に入ってくると、屋内にいる尾根遺産たちが出てくるわけです。
仕事の少ない農村部に生まれ、階層社会で就職口も限られた娘たちにとって、どんなに聡明であろうと、どれほど美形であろうと、他に選択肢が無いのが実情です。
婦人団体がどれほど人権を叫んでも、否定はしませんが日々の暮らしの助けにはなりません。
タイであれば、田舎の貧しい農家に生まれた娘の多くがバンコク等に出稼ぎ?にいくわけです。「おしん」さながらに売られていくことさえ“それで家族が助かるなら”と受け入れて。。。
ラオスの首都、ビエンチャンから地方へ向かう道路沿いでも、同様の「食堂」が点在しています。
フィリピンでもベトナムでもカンボジアでも、同じ宿命を受け入れ生きている娘たちがいます。
ブランド物のバッグが欲しくて高額バイトするような日本の娘たちとは、根本的に異なります。
(高度成長期前は日本でも、多くの娘たちがマニラなどに「売られて」いったのですが)
アジア各地の尾根遺産を抱く時、彼女たちのそんなバックボーンも一緒に抱いていると私は思っています。
和娘相手では感じない甘酸っぱいものが、アラフォー過ぎのオヤジをも掻き立てるのです。
公開から1ケ月、このブログには毎日3ケタのアクセスをいただいております。しかもその7割前後がリピーターの皆さまなのだと解析してわかりました。
ビギナーの私と致しましては、読んで下さることに心から感謝を申し上げると同時に、ある種の責任も日々感じております。これからも内容の充実に努めて参ります。
しかし店舗?数でいえば、正確な統計はもちろんありませんが、インドネシアがNo.1ではないかと考えます。
バンコクには物凄い数の風俗店がありますし、パタヤ、プーケットも夜遊びには事欠きません。でもタイの田舎に行けば、ひとつの町に置屋が数軒あるくらいかと思います。
人口が世界4位のインドネシアも、田舎町では置屋が数軒、というのは同様でしょう。需要が無い場所に置屋が数十軒、なんて有り得ませんからね。
ではなぜタイ以上の数があると考えるのか?
それは、幹線道路沿いに隠れ営業している置屋が山ほどある からです。
広いインドネシアの町と町を結ぶ道路沿いには【Rumah Makan】=食堂 という看板を掲げた店が無数に存在しますが、RMなのに料理が全く並んでいない店があります。
それらは≪尾根遺産を召し上がれ≫という、隠れ営業の置屋なのです。車が敷地内に入ってくると、屋内にいる尾根遺産たちが出てくるわけです。
仕事の少ない農村部に生まれ、階層社会で就職口も限られた娘たちにとって、どんなに聡明であろうと、どれほど美形であろうと、他に選択肢が無いのが実情です。
婦人団体がどれほど人権を叫んでも、否定はしませんが日々の暮らしの助けにはなりません。
タイであれば、田舎の貧しい農家に生まれた娘の多くがバンコク等に出稼ぎ?にいくわけです。「おしん」さながらに売られていくことさえ“それで家族が助かるなら”と受け入れて。。。
ラオスの首都、ビエンチャンから地方へ向かう道路沿いでも、同様の「食堂」が点在しています。
フィリピンでもベトナムでもカンボジアでも、同じ宿命を受け入れ生きている娘たちがいます。
ブランド物のバッグが欲しくて高額バイトするような日本の娘たちとは、根本的に異なります。
(高度成長期前は日本でも、多くの娘たちがマニラなどに「売られて」いったのですが)
アジア各地の尾根遺産を抱く時、彼女たちのそんなバックボーンも一緒に抱いていると私は思っています。
和娘相手では感じない甘酸っぱいものが、アラフォー過ぎのオヤジをも掻き立てるのです。
公開から1ケ月、このブログには毎日3ケタのアクセスをいただいております。しかもその7割前後がリピーターの皆さまなのだと解析してわかりました。
ビギナーの私と致しましては、読んで下さることに心から感謝を申し上げると同時に、ある種の責任も日々感じております。これからも内容の充実に努めて参ります。