ジャカルタ:線路脇の置屋群
読者各位のなかには、ジャカルタの某所、線路沿いに連なる
アングラな置屋エリアを撮影した、
ロシア語のホームページをご存知の方もいらっしゃるでしょう。
ご存知ない方々のために、リンクも張っておきます。
link to homepage
この場所がどこなのか、以前2chでも話題になっていました。
また同じHPを紹介しているブログもありましたが、
当のブロガーは紹介のみで出向いていらっしゃらないよう。
そこに今回、潜入を試みました。
以下の画像は私の撮影したものです。

線路の奥のほうに見える、赤い三角屋根の白壁の建物で、
HPと同じ場所であることがご理解頂けるでしょう。
下調べとして半日かけて、ジャカルタの鉄道3路線に乗り、
沿線を注視し続け、およその見当をつけました。
次にオジェの溜まり場に行き、地図と画像を見せて
「此処に行ったことはあるか?」 と聞いたら、1名「知ってますよ」と。
昼間なら危険度も低いだろうと思い、撮影に向かいました。

道すがら、オジェの兄ちゃんがグニャグニャ何か言っていて、
ほとんど聞き取れなかったのですが、どうも
「俺が撮影していいか交渉するから、旦那は黙っていてくれ」 みたいな内容。
線路づたいに連なる薄汚いワルンの前で降りると、兄ちゃんが
そのエリアのボスらしきおじさんに話しかけます。
私を指差して、「foto」という単語を交えて話しています。
どうやらちゃんと訪問目的を説明している様子。
無事、許可がおりて、
ハエが無数に飛び交う、ズタボロなワルン群の中に突入。
真昼間ですから尾根遺産らの姿は見えず、(多分まだ寝ている)
歳くったおばさんたちや子供たちの、好奇の視線を浴びながら
路地を進みます。
置屋街の路地裏動画
犠牲祭の最中に磯仁様が行かれた、
【川沿いの置屋街】 よりも、不潔度は3倍増くらいのヒドさです。

細い階段を上った先に広がっていた光景は、まさにあの場所でした。
オジェに遊び代を訪ねたら、言い値はなんと30万!?
【川沿いの置屋街】が15万なのに、ココが30万なわけないだろ?
と言ったら、すぐに 「ここも15万でOKです」 と兄ちゃん。
おまえ、ガイド料をボリ過ぎだろうがよぉ~

兄ちゃん曰く、ココは週末のみだとか。
MAPと、アクセス情報も公開しようか悩みましたが、自粛いたします。
ビギナーの無謀なチャレンジを誘引したくはありませんので。
後で聞いたのですが、某ご駐在様が専属運転手に此処へ案内させたら、
「絶対に車から降りないでください!」 と言われたそうです。
ココでは所詮、日本人は “アウトサイダー” です。
興味本位で行くべき場所ではありません。
私はボスのワルンで買い物してあげただけでなく、
インドネシアで購入したバティックを着て行く、
キチンと現地語で挨拶、握手する、など
それなりの配慮をしています。
ボスと旧知らしい、オジェの兄ちゃんを抜きにしての再訪はリスキーだと考え、
次の日曜(滞在最終日)の晩にホテルに来てくれるよう、頼んだのですが、
当日いくら待っても、彼が現れませんでした。
夜の様子も撮影したかったのですが、残念です。

今夏、中央ジャカルタのタナアバン地区にあった、
国鉄の線路脇に広がる売春街 【ボンカラン】 が取り壊された、
とジャカルタ新聞が報じていました。
当時の記事です
記事によれば、ボンカランはプレマン(地元マフィア)の支配下にあって
重要な収入源だったそう。
ということは上の線路脇置屋群だって同様のはずです。
アングラな置屋エリアを撮影した、
ロシア語のホームページをご存知の方もいらっしゃるでしょう。
ご存知ない方々のために、リンクも張っておきます。
link to homepage
この場所がどこなのか、以前2chでも話題になっていました。
また同じHPを紹介しているブログもありましたが、
当のブロガーは紹介のみで出向いていらっしゃらないよう。
そこに今回、潜入を試みました。
以下の画像は私の撮影したものです。

線路の奥のほうに見える、赤い三角屋根の白壁の建物で、
HPと同じ場所であることがご理解頂けるでしょう。
下調べとして半日かけて、ジャカルタの鉄道3路線に乗り、
沿線を注視し続け、およその見当をつけました。
次にオジェの溜まり場に行き、地図と画像を見せて
「此処に行ったことはあるか?」 と聞いたら、1名「知ってますよ」と。
昼間なら危険度も低いだろうと思い、撮影に向かいました。

道すがら、オジェの兄ちゃんがグニャグニャ何か言っていて、
ほとんど聞き取れなかったのですが、どうも
「俺が撮影していいか交渉するから、旦那は黙っていてくれ」 みたいな内容。
線路づたいに連なる薄汚いワルンの前で降りると、兄ちゃんが
そのエリアのボスらしきおじさんに話しかけます。
私を指差して、「foto」という単語を交えて話しています。
どうやらちゃんと訪問目的を説明している様子。
無事、許可がおりて、
ハエが無数に飛び交う、ズタボロなワルン群の中に突入。
真昼間ですから尾根遺産らの姿は見えず、(多分まだ寝ている)
歳くったおばさんたちや子供たちの、好奇の視線を浴びながら
路地を進みます。
置屋街の路地裏動画
犠牲祭の最中に磯仁様が行かれた、
【川沿いの置屋街】 よりも、不潔度は3倍増くらいのヒドさです。

細い階段を上った先に広がっていた光景は、まさにあの場所でした。
オジェに遊び代を訪ねたら、言い値はなんと30万!?
【川沿いの置屋街】が15万なのに、ココが30万なわけないだろ?
と言ったら、すぐに 「ここも15万でOKです」 と兄ちゃん。
おまえ、ガイド料をボリ過ぎだろうがよぉ~

兄ちゃん曰く、ココは週末のみだとか。
MAPと、アクセス情報も公開しようか悩みましたが、自粛いたします。
ビギナーの無謀なチャレンジを誘引したくはありませんので。
後で聞いたのですが、某ご駐在様が専属運転手に此処へ案内させたら、
「絶対に車から降りないでください!」 と言われたそうです。
ココでは所詮、日本人は “アウトサイダー” です。
興味本位で行くべき場所ではありません。
私はボスのワルンで買い物してあげただけでなく、
インドネシアで購入したバティックを着て行く、
キチンと現地語で挨拶、握手する、など
それなりの配慮をしています。
ボスと旧知らしい、オジェの兄ちゃんを抜きにしての再訪はリスキーだと考え、
次の日曜(滞在最終日)の晩にホテルに来てくれるよう、頼んだのですが、
当日いくら待っても、彼が現れませんでした。
夜の様子も撮影したかったのですが、残念です。

今夏、中央ジャカルタのタナアバン地区にあった、
国鉄の線路脇に広がる売春街 【ボンカラン】 が取り壊された、
とジャカルタ新聞が報じていました。
当時の記事です
記事によれば、ボンカランはプレマン(地元マフィア)の支配下にあって
重要な収入源だったそう。
ということは上の線路脇置屋群だって同様のはずです。