【臨時!】ゲイランLor18の置屋がすべて取り壊しに
シンガポール・ゲイランの再開発が始まりました。
置屋のメッカだったロロン18は、置屋がみな取り壊されています。
これがあのロロン18か?と我が目を疑う画像ですね。
ロロン20も、西側(雄琴の夜があった側)はみな取り壊しになったようです。
熱海のある東側はまだ残っているそうです。
この記事を書く前に「ゲイラン」「取り壊し」、「ゲイラン」「再開発」、「ゲイラン」「閉鎖」で検索しましたが、検索結果の1ページ目にまったく報じているサイトが見当たらなかったので、臨時ニュースとしてお伝えいたしました。
だるまわんさ様、速報と画像をありがとうございました。
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皆さまに最後のご挨拶です
2019/2/16最近のシンガポール夜遊び事情は
今回はお馴染みモンキー様から頂戴しましたシンガポールのレポートです。
私が好きだった夜遊び場も、以前とは様相が違うようです。
大変ご無沙汰しております。
やっと時間ができましたので、記憶が風化する前にぼちぼちご報告をしていこうと思います。
まずはシンガポールに行った際に、少し変わった点をご報告します。
◎ゲイラン道待娘は
まず、立ちんぼの出るゲイランですが、私が行ったのは米朝会談の1週間後でしたが、いつごろからかはわかりませんが、監視カメラが通りのいたるところに設置され、立ちんぼはほぼ皆無でした。
その代り、以前より置屋が格段に増えたように感じます。以前立ちんぼがいたところも置屋に変わっていたほどでした。
私は以前は利用しなかったのですが、せっかく来たので入ってみたところ、ほとんどがタイ人なのは変わらずですが、ベトナム人の置屋、中国人の置屋が数件ありました。
ベトナムとタイは、30分、1shot、S$50、中国人は、60分、1shot、S$120-150でした。
置屋を後にする時にタクシーに乗りましたが、タクシーの運ちゃん曰く、「旅行者の安全の為に政府がカメラを設置した」だそうです。
そう考えると、もう立ちんぼだらけのあのゲイランは帰ってこないかもしれません。
◎オーチャード界隈は
その後、BRIXにも出撃しましたが、声をかけてくるのはベトナム人ばかり。
そして相変わらずS$400からで、値切れてもS$300でしたのですぐに退散しました。入場料はS$50で飲み物1杯付きだったと思います。
その後、Orchard Towerに回っていろいろな店を覗きましたが、イパネマ以外はほとんど尾根遺産はいませんでした。
ロシアンバーに入って聞き込みをしたところ「21:00頃はいっぱいいた」だそうです。ただ、おごりの1杯の料金が高いので止めた方が良い気がします。
その後、安定のイパネマに行きましたが、やはりたくさんの尾根遺産がいました。
以前と違うのは、前回はベトナムだらけだったのに、カンボジアからなども結構いたことですね。
尾根遺産をからかいながら3時頃までたむろしていたところ、見たことのある尾根遺産の一群が入店してきました。
誰かと思ったら、先程BRIXにいたベトナミーゼ達でした。恐らく誰も引っかからなかったのでこちらに回ってきたものと思われます。
ネットの記事で「BRIXの方がイパネマなどよりもハイレベル」、とは言われてますが、白人たちをひっかけるならともかく、ベトナム人なら、そん色ないレベルの子がディスカウントでお買い上げできるかもしれません。
以上、少しですがあまりネットで見ない情報でしたのでご報告します。自分としても、いつもと違った面を見れてちょっと面白かったです。
ちなみに、本当かどうかはわかりませんが、「来たばかりだ」といったカンボジア人やベトナム人は、本当に擦れていなくていい子でしたよ。慣れてるベトナム人はおざなりでしたけど。
◎管理人から
モンキー様、いつも貴重なレポートをありがとうございます。
そうですか、ゲイラン道待娘はもはや絶滅危惧種ですか(涙
マリーナ・ベイのカジノが登場する前、警察の目をかいくぐってローカルたちが賭博に興じていたゲイランの路地裏。
パトカーが来たとわかるとクモの子を散らすように逃げていった道待娘たち。
紙袋に大量の闇タバコを入れて売り歩く人たち。
あの頃のゲイランが、私には妙に居心地良かったです。
ヨーロッパも数ケ国行きましたが、雑然とした東南アジアのほうに魅せられていった私です。統制された監視国家シンガポールより、抜け道がいろいろあったシンガポールに郷愁を感じるのも、同じ理由からでしょう。
「旅行者の安全のため」に設置したという監視カメラですが、道待娘は旅行者に危害を加えたわけではないでしょうに、とんだトバッチリですね。
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2019/1/26【シドニー】置屋の店内にATM
今回はお馴染みY様の体験談です。舞台はオーストラリア・シドニーです。
久しぶりにシドニーに行ったのですが、事前調査で「置屋があり」「合法で」「Google Mapで検索できる」ということで、友人と一緒に行ってきました。
◎場所は
セントラル駅周辺で、キーワード brothel でGoogle Mapで検索したら、置屋が出てきます。
ちなみに有名なキングズクロスでは、(実際に行きましたが)ほとんど置屋はありませんでした。
前日に下見はしてたので、同じルートで各置屋をまわっていきます。
置屋毎に人種が異なり、アジア系の置屋もあれば、オージーやメキシカン等多国籍の置屋もありました。下見の際にアジア系の置屋で、入口でばったり会った非番(?)の娘が気になっていたので、その店に行きました。
その店で気になっていた娘が稼働していたので、連れも日本女性が気になったので、入ることにしました。
コースはいくつかありましたが、店員さんおススメのダイヤモンドコースで、30分 150AUD(12,000円ぐらい)を選択しました。
ご丁寧にも店の中にATMがあったので、キャッシュをおろして支払いしました。
◎プレイは
私のお相手は、中国のハンチョウ出身の23才で、可愛くて、背も低く、スリムなのに出るとこは出て、どストライクでした。
部屋に行ったところ、広くて綺麗でシャワーとバスがあり、バンコクのMPのような感じでした。
キスやタッチをしながら、お互いに脱がせ合いをして、シャワーのところに行き、簡単に洗ってもらいます。
その後ベッドに行き、キスから乳舐め、アソコを舐めて指入れすると、悶えながらいい感じに濡れてきます。
生フ☆ラをやってもらい、正常位で合体。いつもはそこからバックに移るのですが、あまりにも気持ち良く正常位で逝ってしまいました…
終わって待合室に戻ると連れが待っており、話を聞くと、連れの相手は長野県出身の日本女性だったということですが、お互いに大満足だったことを確認できました。
オーストラリアに行ってまでアジア系なの?と思いますが、どストライクの中国女性がいたのと日本女性がいたことは、ちょっとびっくりでしたね。
◎管理人から
Y様、貴重なレポをありがとうございます。相変わらずの引きのお強さですねぇ~。
私がシドニーで夜遊び三昧したのは、もう十数年前になります。
同僚たちと連れだって、まず有名処のキングズクロスに。ストリップを覗いたのですが、店のあまりの汚さとダンサーのレベルの低さに唖然として、すぐに退散しました。
そのあと、私が事前リサーチしていた置屋に。キングズクロスからは徒歩圏でした。
白人尾根遺産たち、出身地はバラバラで、私のお相手はアイルランドから来た、と言っていました。
ベッド脇の照明の下、これでもかというくらい入念に、愚息の病気の有無を調べられて、それだけで高揚していたテンションが落ちました。
◎アジアナイトウォーカー誕生?
翌日もまた、別の同僚たちを同じ置屋に案内。しかしもう、私は白人女への興味を失っており、上階へあがっていく同僚らを見送ってから、単身アジア系置屋に向かいました。
香港とかタイとか、4ケ国くらいいたように記憶しています。そこで指名した、香港から来たという尾根遺産。
当時まだ中国本土からは、今のように大量の海外渡航者が来ていませんでしたから、英会話もできた彼女はおそらく、実際に香港から来ていたのではないかと。
で、その尾根遺産が大当たり!
大満足の一夜だったので、翌日も翌々日も、3連荘でアジア系ばかりの置屋に通い詰めました。同僚たちは私の行動に首を傾げていました。
でも今になって振り返れば、あのシドニーの夜が、私にとってアジアン好きを強く自覚させる契機でしたね。
白人女性を抱いたのは、人生であれが最後でした。(たぶん今後も)
そういえばその当時でも、シドニーの置屋に日本人女性がいるという情報はネットにありました。ワーホリ崩れでしょうかね。
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2019/1/14【ジャカルタ】今まで避けてきたものに挑戦(その3)
今回はH様のジャカルタ体験談です。昨年夏のレポートに続いて、アングラ風俗への潜入に挑戦されました。
◎それは8年以上前
何年前だったか忘れたが、ジャカルタでアジアナイトウォーカーさんと待ち合せて、suka nona dong!様と一緒に夜の風俗店調査にインドネシア人ドライバーの案内で連れて行ってもらったのがずっと記憶に引っかかっていた。(管理人注:2010年11月)
当時、まだマンガブサル方面しか知らないのに、かなり遠くまで出かけていき、たどり着いたのがどこかのトランス・ジャカルタのバス停近くの、キラキラネオンの輝く世界(Dunia Gemerlap略してdugem)。
店の前では多数の尾根遺産が座っていた。しかし、ドライバーに「地元の人間でも危ないから、その店に行くのはやめたほうがいい」と忠告され、直接店に入るのを断念。しかし、心の中では「いつかいってやるぞ」という気持ちが残った。
◎昨年の夏に
前回、トランス・ジャカルタでtanjung priokのペラペラに向かう途中、その一つ手前のengganoというトランス・ジャカルタのバス停を通りかかったとき、まさに数年前見たあのDugemがあるではないか・・・。
その時は、時間がなく、次に来た時に行ってみようと決心した。
そして半年がたち再びジャカルタに向かって出発。今回は、香港→深?→バンコク→ジャカルタというルート。
途中の深?で立ち寄った自分のいつもの遊び場である湖貝路(近くに向西村や東門市場があり、しかもエッチ系のマッサージがたくさんあった便利な場所)が再開発され跡形もなく、お気に入りのマッサージ店がなくなってしまったというショックの中、新たな遊び場を求めてジャカルタに降り立った。
スカルノハッタからの鉄道がついにDURI駅をオープンしたことで今回も鉄道を調査。マンガブサルまで40分(空港駅から30分、バジャイで10分)と本当に便利になったものだ。
◎調査開始
そして、ホテルにチェックイン。夜になり、調査開始。
「地元の人間でも危ない」という言葉に従ってお金も100万ルピアと携帯電話、ホテルのカードキーのみを持って出発。
ジャカルタ・コタ駅からトランス・ジャカルタのタンジュン・プリオク線に乗り込んで1時間くらいしてやっとengganoバス停に到着。
バス停から見えるネオンキラキラの世界が圧巻。早速調査に・・・。
恐る恐る反対車線から撮った携帯の写真がこちら(どうしてもピンボケしてしまった雰囲気だけでも)。
Monariza,Santanaとかそれらしいネオンが輝く。
店の前には、椅子に座った尾根遺産が多数。店の中に入ると20~30人はいる。「来てよかった」と心の中で感動。
「なぜ今までジャカルタの情報でこの様な場所が全く紹介されなかったんだろう」と疑問に思った。レベルもまずまずだし、若い子がいっぱい。
恐る恐る店のママさんに「Bisa Jikijiki?」と聞くと、「Tidak.」との返事が。ここで一気に冷めていった。
なんとここは単なるカラオケ。しかも「200万ルピア」という。今回は挑戦しなかったが少し興味が。
◎別の線路脇では
ということで、結局単なるカラオケということが分かりがっかり。
帰りは、案内してやるというojekの後ろに乗って“テウテウ”というこれまた線路脇の置屋群に連れてってもらうがレベルの低さに愕然。
タンジュン・プリオクを後にして、いつものコタインダーに向かうのであった・・・。
今回の記事を書いていて、昔の深?のことを思い出しました。初めて行った時のジャスコ裏の髪郎(当時は少なくとも20店くらいあって1つのところに5~10人くらいいて1回150元)。
あれから10年。いくつの楽園が閉鎖になったことか・・・。
◎管理人から
今回の体験談を頂戴して調べたら、初めてタンジュン・プリオクに案内して頂いたのは2010年の年の瀬でした。
その後、現地人の案内で再訪したのが2012年春。そのとき撮影した動画がこちらです。
このとき初めて隠し撮りのカメラを用意したのですが、何分にも操作に不慣れで見苦しい動画になってしまいました。
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